ホームレスの人たちの文学賞、「路上文学賞」

現在、ホームレスの人やホームレスの経験をした人、外国旅行中に盗難に遭い、宿泊できなかった人たちが書いた文を称えた賞があります。
パソコンなど無いと思うのですが、どうやって書いたのだろうか、疑問に思い受賞作品を読んでみました。
原稿用紙5枚くらいにまとめたものをスタッフがワープロ打ちしたと思われるもの、本人が書いたと思われるものもありました。
中には、スマホを使っていると思われる方もいました。
海外で盗難に遭い、ホームレスの経験を綴った方もいました。

受賞すると賞金も出ますから、ホームレスの経験がある方や書ける環境にある方は、応募してはどうかと思いました。
大賞5万円
佳作5千円

応募資格があるのは、路上生活者、路上生活の経験がある人です。

 

ホームレス、路上生活者、リバーサイドヒルズ族

年末年始の、テレビ番組で、多摩川河川敷で暮らすホームレスの人たちが紹介されました。
多摩川河川敷には、約600人に人が暮らしています。

そこで暮らすことは、河川法違反にあたります。
そこで暮らすホームレスの人たちは、台風などの大雨で洪水になると財産が流されたり、身の危険がないか心配しています。

 

拾ったギターで、「多摩川ブルース」を作詞、作曲した人もいました。
この方は、バブルの頃、六本木で飲み歩いたそうです。

 

ホームレスのキタローさんの家

この方の家には、ドラム缶風呂や地下室、2階がありました。
ご自分で時間をかけて製作したそうです。

ドラム缶風呂の燃料は、ゴミだそうです。

 

地下室は、夏にとても涼しいそうです。
2階は、木の上にあり、ゲゲゲの鬼太郎の家のようでした。
ここから、キタローさんと名づけられたようです。

 

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ホームレスの生活

路上文学賞を受賞された方の「路上マニュアル」は参考になりましたので、いくつか紹介します。
自己破産をし、路上生活をしたことがある方の作品でした。

 

携帯電話

・携帯電話は、プリペイドのものを使っている
・ホームレスの人の中には、スマホを持っている人もいるそうです。

路上生活でも携帯がもてる

携帯充電は、ソフトバンクやドコモショップに行けばできるし、携帯の充電中に人の水分補給ができる。
携帯電話やスマホは、利用料がかかるので、なるべく使いたくない。インターネットで情報を得るには、図書館のパソコンや携帯電話ショップのタブレットを使うそうです。

 

夜間は、パチンコ店に行けば、無料の充電コーナーがあります。
冬は、暖もとれるし、夏は涼しい。
新聞や雑誌もあるので、時間もつぶせる。
無料ロッカーもある。

 

食べ物

区役所、市役所で乾パンなどを配布してくれる。
この区役所では、1日に5枚もらえるそうです。

 

教会では、食事を出してくれる。
デパートやスーパーの試食がある。
都会なら、これらのお店がたくさんあるので、なんとかなる。

 

東京都内では、炊き出しをしてくれるところもある。

 

コンビニやファストフード店では、販売期間が過ぎたものを処分するので、それをもらう。

 

お金

日雇いの清掃や肉体労働が中心だそうです。
拾ったアルミ缶もお金になります。

交通量調査

アルバイト雑誌に掲載されるのは、2、6、10、11月だそうです。
12時間で1万円、24時間だと2万円が相場で、人気があり、すぐに募集が締め切れれるそうです。

治験ボランティア

製薬会社が実施するもので、東京なら、たくあんあるそうです。

 

アンケートモニター

500~1000円くらいになる。
回答すると図書カードや商品券がもらえるので、金券ショップで売ることができる。

東京や大阪などでは、こうした短期アルバイトが多く、お金は、なんとかなるものだそうです。

 

 

アルミや銅の買取価格は変動します。

私も生活用品で不要になったアルミを集めて売ったことがありました。
1kg、数円~数十円でした。
高いときには80円くらいになることもありました。

銅は、高く買ってくれます。
実家や廃業した親戚の店の銅線を集めたところ、1kgあたり80円くらいで引き取ってくれました。
北京オリンピックの前は、1kg、400円でした。
当時、銅製のパネルや電線が盗まれたというニュースをよく聞きました。
2016年は、500~600円くらいです。

銅線は、剥き出しのものだけでなく、コンセントに差し込む電源ケーブル、テレビのアンテナ線なども売れます。

被覆(ビニルの覆い)を剥かなくても大丈夫です。
1kg、30円くらいで買ってくれます。
剥いてある銅むき出しのもののほうが高く引き取ってくれます。

電源アダプタ内や家電製品の中には、トランスというパーツがあり、多くの銅が使われています。
ばらして売れば、高く買ってくれますよ。

鉄くずは、二束三文でした。

鉄くずも持っていったのですが、値が付かないと言われたことが多かったです。
数10kgあれば、1kgあたり10円くらいで引き取ってくれたことがありました。

 

昭和4、50年代の路上生活者

私は、高校生の頃から20代まで、肉体労働の日雇いのアルバイトを10年以上したことがあります。
父が肉体労働をしていたため、小学生の頃から、いわゆる路上生活の方が私の家に遊びに来くることがあり、河川敷や森の中につくった家に行ったことが何度もあります。

彼自身、自分のことをルンペンと呼んでいました。
私は、小学生でしたが、差別的な言い方と感じていたため、私は、ルンペンと言う用語を使いませんでしたが、父親の仕事の関係から、よく聞く言葉でした、

 

当時は、戦争で家族や家を失い、そのまま路上生活を続けているという人が、私の周りには多かったように思います。

私が小学生のときで小さかったためか、かわいがってもらい、生活のための術や生き方を教えてもらうことができました。

食べ物

野生の鳥を捌いているところも見ました。
すずめ、うずら、野生化したニワトリを食べさせてもらったことがあります。
ウシガエルを取りも教えてもらいました。
カエルは、鳥肉と同じような食感で、おいしいです。

野草やきのこなども食べましたが、きのこは遠慮しました。

 

30、40代で亡くなる方もいました。
仕事に来ないので、父の仕事の関係者が住んでいるところに行ってみると、亡くなっているということや体調が悪くて病院で亡くなる方もいました。
亡くなった後、父たちと住んでいたところを片付けに行ったこともあります。

 

彼らの楽しみは、花札や競艇、競馬などでした。
休みの日には、赤鉛筆と新聞を持って、電車で競艇場や競馬場に行っていました。
儲かった日には、食べ物をもらったことがあります。

 

私は、高校生の頃、アルバイトで肉体労働をしました。
その現場にも路上生活者がいました。
家にお金を貸りにくることが多くなり、私が何度かお金を貸したことがありますが、返ってきませんでした。
私がそのアルバイト先を辞めてからもお金を借りに来ることがあり、時々、父がお金を貸していたようです。